皆さん、宇都宮市出身の『明石 志賀之助(あかし しがのすけ)』をご存じだろうか?
誰もが知っている大相撲(日本相撲協会)の、初代横綱です。
栃木県宇都宮市民でも『明石 志賀之助』を知っている方は少ないかもしれない。
ウィキペディアで『明石 志賀之助』を調べると、身長は最盛期で「八尺三寸(約251.5センチ)」、体重が「四十九貫(約185キロ)」?!…でも身長が251.5センチは…怪しい?!
ただ、従来の力業だけでなく相撲の技に関しても多く研究し、現在でも基本とされている四十八手の技を考案した人物とも言われている。
実在したのか?架空なのか?
日本相撲協会の公式HPで確認すると、歴代横綱一覧で初代と表示されているので実在は間違いないだろう。
ただ、出身地は「栃木県宇都宮市?」と、なぜか“?”がついている…?
謎も多く、気になるな!
JR宇都宮駅東口にいる。
2023年8月にLRT開業が決まり、生まれ変わったJR宇都宮駅東口。
そこに明石 志賀之助はいる。
東口の開発工事が落ち着いてきた2022年10月に『明石 志賀之助』の石像が設置されている。
とても立派な石像なので、ぜひその目で見てみてほしい。
いったい何センチで何キロなのか…?
宇都宮駅東口の明石 志賀之助像は、落合芳幾(よしいく)画「初代横綱力士明石志賀之助」に描かれた姿や添え書きに基づいて作られたそうで、身長は221センチ、体重は225キロ。
ウィキペディアと比較すると、身長は小さくなり、体重が増えている。それでも充分デカいけど。
体形は、プロレスラーの『アンドレ・ザ・ジャイアント』身長223センチ、体重236キロに近い。
石像の台座には手形と紹介分が刻まれていて、台座を含めると高さ338センチにもなる石像となっている。
様々な情報から『明石 志賀之助』は、
江戸時代初期の寛永16年(1639年)宇都宮生まれ
寛文元年(1661年)22歳 江戸一番の人気力士
天保二年(1682年)43歳 天下無双の力を発揮し「日下開山(ひのしたかいざん)」の称号を賜り活躍
元禄十二年(1699年)60歳 江戸の善照寺(相撲寺)で引退相撲
という情報が見えてきた。
2023年3月22日の東京新聞TOKYO Webに記事が!
【初代横綱 幻じゃなかった! 明石志賀之助 宇都宮の郷土史家が地道な調査で存在証明】
実在はほぼ間違いないだろう。
ただ、身長は8尺5寸(258センチ)、8尺3寸(251センチ)、7尺5寸(227センチ)、7尺3寸(221センチ)、6尺8寸(206センチ)など様々な情報があるので、相撲の強さを示すために誇張したのかもしれない。
それでも、現代にプロレスラーの『アンドレ・ザ・ジャイアント』がいたのだから、『明石 志賀之助』が江戸時代に身長221センチ、体重225キロで実在していても驚きはない。
宇都宮駅のシンボル…?
ちなみに、JR宇都宮駅西口には餃子像がある。
宇都宮の初代横綱像と餃子像は、渋谷のハチ公とモヤイ像みたいなシンボルとなっていくのだろうか…?
最近、「JR宇都宮駅東西自由通路」によって、東口と西口の行き来が断然しやすくなった。
是非、宇都宮に観光で訪れたら、JR宇都宮駅東口の『明石 志賀之助』石像と、JR宇都宮駅西口の餃子像に会いに行ってみてほしい。
餃子像はJR宇都宮駅の西口、ペストリアンデッキの2階にいます。
ちなみに餃子像がつくられたのは1994年。今の場所に来たのは2014年。なんと2008年までは東口にいました。
東口の再開発によって西口に移動されたのですが、その移動の際にクレーンから落下して真っ二つに割れるという大事故にみまわれています。その後、修復され西口に無事設置されましたが、西口の移動先が目立たない場所だったため、再移転の計画がたち、2014年に再度移動。今の場所になりました。
実は宇都宮のいろんなところにいる横綱。
宇都宮市の蒲生神社(がもうじんじゃ)にも初代横綱はいる。
2007年に『明石 志賀之助』の石像が建立されており、その年から「初代横綱明石志賀之助杯」として少年相撲大会も行われている。※コロナにより2020年から開催中止をしています。
また、宇都宮餃子館インター店には、横綱土俵入りの石像が。
これも『明石 志賀之助』なのかな?!